淡路島書踊音楽団が、これまでに書道パフォーマンスや作品展で使用させていただいた縁の場所についてご紹介いたします。

春陽荘

春陽荘は、昭和16(1941)年に、造船業で富を得た岩木家の社長宅兼事務所として建てられました。
設計は家相方位学の権威である山本豊圓氏で、風水の思想にもとづいて設計され、地元の大工棟梁の斉藤三吉氏らが腕をふるい7年の歳月をかけて完成。
427坪の広い敷地には、貴賓館、蔵、客殿、寝殿、常住殿など8棟の建物があり、平成16年に国の有形文化財に登録、平成29年3月に兵庫県景観形成重要建造物として指定されています。

https://shunyoso.jp/ja/top-ja

旧益習館庭園

東西に長い池泉を穿ち、山側護岸に和泉砂岩の巨石を用いた池泉回遊式庭園です。高さ4mを超える山側護岸の巨石は、庭園石材としては日本最大級のものです。
江戸時代前期に作られた、徳島藩筆頭家老稲田氏の別荘の庭園。別荘は、後に稲田氏の私塾学問所が移され、それ以降「益習館」と呼ばれるようになりました。
明治3年(1870)の庚午事変により、建物は焼失しましたが、庭だけが当時の面影を残しています。他に類を見ない優れた武家庭園として平成31年2月に兵庫県の名勝に指定されています。

https://www.city.sumoto.lg.jp/soshiki/34/1735.html

https://kankouawaji.com/ekishukangarden/

洲本の城下町

洲本の城下町は曲田山から塩屋川へ流れていた小川を掘って外堀とし、御城(今の淡路文化史料館等がある一帯)に近い東側を「内町」、西側を「外町」としました。
内町には、身分の高い武士の屋敷や商人町、職人町をつくりました。外町には、西に由良から移転してきた寺院を並べ寺町をつくり、その東隣と南方に足軽鉄砲の住む鉄砲町をつくり、中央部には商人町や職人町、百姓町をつくりました。

道路は敵の侵入を食い止めやすいようにわざと狭くし、喰い違い路やT字路、カギ型路を組み合わせてつくられました。
市街地を車で運転すると、運転しにくい場所もあるかもしれませんが、その町並や道路こそが当時かつてこの地が城下町であったことの証だと感じることができます。

本町七丁目商店街では、毎年開催されている「城下町洲本レトロなまち歩き」というイベントにて出演しています。

https://www.awajishima-kanko.jp/manual/detail.html?bid=629

http://www.kanseto.jp/article/a08/index.html

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